佐平次バル

商人の賣買するは天下の相ナリヨ

日本の国民国家システムの緩やかな解体と国際情勢の急激なこすり合いの始まり

 争点なき参院選が終わって、N国が香ばしい国会議員たちと連携することや、舩後靖彦がインタビュー記事で戦後教育制度をGHQによるものと指摘したことで右派がときめき、慌てて訂正表明したりと、新たに当選した議員にまつわるエトセトラが一回りした感がある。そんな中、参院選で落選した安富歩が、れいわ新選組の楽屋話を暴露するブログ記事を書いていたのだが、こんな一文があり引っ掛かりを覚えた。

 

『私は、現代という時代を、明治維新によって成立した日本の「国民国家」システムの緩慢な解体期として理解している。このシステムは、イギリスで生まれた資本制生産システムと、フランスで生まれた国民軍が中心となっており、その両者を統合しつつ機能させるために、学校教育、市民的自由、議会制民主主義などが成立した、と考えている。この国民国家の政治的指導原理はそれゆえ、「富国強兵」ということになる。この原理は「経済成長」というように言い換えられて今も生きており、安倍政権は「富国強兵」を露骨に再生しようとしている。』

 

 イギリスに「富国」の、フランスに「強兵」のルーツがあるのか、や、安倍政権が経済成長という名のもとに富国強兵を再生しようとしているかはさておき、冒頭の一文に書かれている日本の置かれた状況に対する理解が、今自身が書きたいと漠然と思っていたテーマへの呼び水になる気がして、この文章を書き始めている。

 

 かなり前になるが、評論家の小浜逸郎がとあるWebメディアで、金融資本が自由に移動できるようになった結果、庶民の暮らしが真綿で首を絞められるように徐々に貧しくなっていく様を「携帯(させられてしまった)化学兵器」「庭先やベランダに遍在する地雷」と表現していた。第一次大戦の発端となったバルカン半島の騒擾を火薬庫に喩えたことから連想したものというが、「わかっちゃいるけどやめられない」状態をよく現している。ギロチンギロチンシュルシュルシュ、だ。

 

 昨日、韓国が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄する決断をしたことが大きく報道されていたが、現代の火薬庫が朝鮮半島に現出したとの少々大袈裟な感想を持った。この状況に至った遠景には勿論、米中という大国が安全保障の梯子を登り始めたことがある。日韓がその縮小版を演じている。弱い者たちが夕暮れ、更に弱いものを叩いているのだ。

 

 短期的にはこの状況を回避する為のリアクションが起きてくるだろうが、大国小国によるこの梯子登りは恐らく止まらないし、分水嶺を超えると一気に進展する予感がある。国民国家システムが緩やかに解体している中で庶民の暮らしは徐々に貧しくなっており、庶民は鬱憤のはけ口を「正しさ」に求めるようになっている。目を皿にしてスマホ画面を見つめ、着火しやすそうなネタがあれば砂嵐のように仮想空間に集合し、炎上を仕掛ける。今はこの対象が闇営業をした男芸者や、高速道であおり運転をしたサイコパスに向けられているから、まだいい。この正しさへの砂粒たちの集いが国民国家の枠組みで始まったら、リバイアサンのオクサレ様の出来上がりだ。

 

 いけない、いけない。マジメに考えると、悲観シナリオしか見いだせない。この場所では、世情のあらをおかずにしながら、なるべく楽観的態度で状況と向き合って考えたことをつづっていこう。